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月別アーカイブ:「2010年11月」の一覧

2010/11/30

大穴

競馬大好き男と話をしていたら女房自慢、のろけを聞かされた。「ボクがこれまでで最大の大穴を当てたのは女房です」という。かなり人気の無い馬で誰も馬券を買おうとしなかったが、彼はひと眼みたときにこの馬は必らずトップでゴールすると直感したという。予想屋としての友人はじめ親兄弟、みんなとりたてて反対する人もなかったが賛成の人もひとりもなく、何と物好きなといった顔をされたという。それでも先見の明があるボクはひとり間然と彼女に賭けて正解だったと自慢する。彼はいま四十八才、結婚して十三年だそうだ。「だったら、まだゴールはしてないだろう」と言ったら、第二コーナーだか第三コーナーだか知らないがそこを断トツで通過している最中だという。「そんなものまだ追い抜かれる知れないし、落馬だってあり得るよ」と水をさしたら「それがないから大穴になるンです」と気楽なことを言う。「一度その馬を見てみたいね」「ええ、是非見に来て下さい。でも見るだけですよ、乗ってはいけません。」と落語のオチのようなことを言うので、「バカ、オレは大穴狙いじゃないよ。」と言って大笑いした。

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2010/11/29

やり残した事

昔の囲碁仲間三人と鎌倉で酒席を共にした。かなり年上ばかり、自分以外は皆喜寿を過ぎている。話が「やり残した事」となり、仕事上のこと、船で世界一周がしたいという人、趣味の盆栽を出品して一度賞をとりたい等、わいわいがやがや話がはずんだ。名指しされたがこれといって思い浮かばず、帰りの電車の中でぼんやりと考えた。
 触れたことのないもの—触れる
 まだ見ぬもの—見る
 口にしたことのないもの—食べる
 聴いたことのないもの—聴く
 かいだことのない匂い—かぐ
 出会ったことのないお化け—出会う
まあ単なる好奇心に過ぎない。そんなことを考えているうちに、
 見えないものを見たい
 聞えないものを聞きたい
 まだ知らない自分を知りたい・・・と
どんどん訳の分らない方向へと進んでゆくうちに二宮の駅に着いた。結局のところ、一日が終って一晩寝ればもう全て過去のことといった感覚があり、一日、一日の連続性が無い方なので、とりたてて「何かやり残した事」と言われても自分には何一ツ思いつかなかった。

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2010/11/28

午前10時

厚い雲におおわれて夕方のように暗くなってきた。
低くたれこめた濃い灰色の雲が南西に向って静かに動いている。窓から見える電線にクモの巣が二ツ、かかった獲物はたった一匹の小さな虫、これからの季節、いつまで待っても満足のゆく獲物はかかりっこない。ジッとしてないで自分で動いて取りにゆけとクモに言いたくなる。いまヘリコプターが一機、厚木方面に騒音をまき散らして飛び去った。雨が音もたてずに降り出した。ときどき道を走る車の音。先のちぎれた短冊を少し右回転させて風鈴が小さく音をたてた。
値上がりした煙草に火をつけ、入れたばかりのコーヒーを飲みながらこれといって良い案が浮かばない次の仕事の構想を練っている。いま電線にあまり見たことのない鳥がとまった。また一羽きた。
少し腹が減ってきた。何か食べるか・・・。

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2010/11/27

禊(みそぎ)

この一年以上無収入に近いので、つくづく金が欲しいなと思うときと、このままずっとこの状態が続けばいいのだという気持がその日その日の状況に応じて日替わりでやってくる。ただこの三〜四ヵ月はどちらかというと3:7で後者の気持の方が強くなっている。金が何故欲しいかと自分に問えば現状を維持したいということと、少しでも楽したい、それに世間に対する見栄、それ以外にない。真っ白な状態で生を受けて、長年生きてきたらつまらぬ欲でアカまみれ、なんとつまらない人間と自分で自分にあきれる。三十代からうっすらと描いていた夢、年老いたらからだの自由がきくうちに野宿しながら日本を北から南の果てまで太平洋側、日本海側と一周歩きまわる禊の旅に出て人知れず野たれ死ぬ。徒歩巡礼というのは心に砥石をかけているようなもの、歩きながら、心の煩悩をすり減らしているのだと何かで読んだ記憶もある。旅の絵日記が最後の仕事、いま始めたばかりの新らしい仕事が終わったら旅に出ろと、そんな状況を神に与えてもらっているのだという気がしてならない。なまじっか収入があったりすると自分のように弱い人間は第一歩を踏み出せずに終わってしまう。せっかく汚れなき身として生んでもらった親にあの世で合わす顔がない。ただこれも自分の意志で行動を起こしていると思ったら大間違い、自分で泳いでいるつもりでもほんとうは神の創った河をただ流されているだけ、どちらに転んだとしてもそれが天命なのだ。また何かと収入があるのなら、これから少しはまわりの人達に使う、もし無いのであれば金銭にかわる収入を神におまかせする。それが何だか分らないがとてつもなく貴重なものの気がする。「坊主に救いを求めなくとも、現実の土を掘っていった所に安心がある」誰が言ったのかどうしても思い出せないが、いまの自分には実に良い言葉だ。そして、明日をも知れぬ少年時代と、いまこの不安定な状態の毎日が最も日々平安に思えてくるのだ。ただ一ツ怖いのは健康を損ねること。

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2010/11/26

渡座(わたまし)

転居通知をまだ殆んどの人に出していない。
賀状を書くときに知らせればよいと怠けているのだ。恐らくもう一生逢うこともなく、ただ賀状のやりとりだけの人には、失礼な話だが通知を出さず、行方不明、音信不通となってもよいとも思っている。むかし山頭火や魯山人などいろいろな話を聞かせていただいた90才近い方に久しぶりに葉書をかき転居の知らせをしたら返事を貰った。「渡座せられたとのこと・・・」という書き出しに驚いた。初めて見た「渡座」という言葉、辞書を引いたら(山口、徳島、長崎、沖縄首里などの方言で転居の意)とある。また(貴人の転居をいう総称)と古語辞典には出ていた。葉書の相手は確か福島県出身の方、方言として使われたのではなく恐らく転居をいう総称として使っていただいたものと、また一ツ教えられた。自分もいつか使ってみようと思う。

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